2017年7月9日礼拝メッセージ「神のかたちの破壊と回復(創世記1章~3章)」

【はじめに】

先週、藤井 聡太四段が30連勝に向けて佐々木勇気五段と対局しました。惜しくも敗れてしまい、29連勝でストップになりました。中学生の若い彼がここまで勝ち進めたというのは本当に驚きであり、将棋界で今後、どのような活躍をするのか、楽しみです。

 

実は、この両者の対局状況をテレビでみました。その状況について将棋界のプロの棋士が対局状況を解説していました。この開設の中でAIの(人工知能)を使用して棋譜(きふ)で次の一手を予測する場面がありりました。いよいよ、AIが将棋の番組でも登場かと思いました。また、棋士がAIを持った将棋ソフトを使って将棋の研究をする時代になったということです。

 

また、AIについて知らなければならないのは、あらゆる分野において使用しはじめられたということです。先月のNHK特集でAIに関する番組がありました。

 

特にふたつの例をあげます。ひとつはタクシーの車の配置の利用です。東京の某タクシー会社ではAIが導入されています。これは、場所ごとに、時間(月、曜日、時間)ごとに、天気ごとに、人がどこでタクシーを利用するかというビッグデーターをコンピュターに入力します。それに基づいてAIが車の配置の決定をします。その導入の結果、その時間にその場所に車を配置するとお客さんに出会う確率が導入前より20%以上、増加しました。

 

二つ目はアメリカの例です。アメリカ犯罪の再犯率を裁判所が利用しているというものです。人種、性別、年齢、過去の犯罪内容、刑務所内の言動等ごとにデーターを入力すると再犯率が出るのです。これを参考にして仮釈放の判断をするというものです。

 

このようにAIは人の人生を左右するところまで到達しました。私たちの日常生活がAIに支配されることになりかねないのです。

 

有史以来、人間は単に道具や機械を作ってきたはずですが、AIやロボットが開発され、人間のかたちに似せて作るようになったと言っても過言でありません。いや、それ以上の能力を発揮します。そして軍事面の利用まで考えられている段階と聞きます。一体、どこまで人間は追及し続けるのでしょうか。

 

    聖書は「神は人をご自身のかたちとして創造された」と言っています。

 きょうは、本来、人間とは一体どういう存在であり、私たちは何者かということを聖書ことに創世記1~3章からみなさんと分かちあいたいと思います。

 

【きょうの聖書の中心聖句】

①神は人をご自身のかたちとして創造された

創世記 1:26  そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。 1:27  神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。 

 

②エデン契約

創世記2:15  神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。 2:16  神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。  2:17  しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」 

 

③人間の堕落

創世記3:6  そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。 3:7  このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った

 

④原福音(キリストについての預言と神の愛)

創世記3:15  わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」 

創世記 3:21  神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。 

 

【概要】

神はじめに天と地を創造され、さらに月、星、植物、動物を造られました。そして、最後に、最高作品として、神のかたちに人を造られました。すべて創造されたものは神の目には良かったのです。

人をエデンの園に置いて人にどの木から食べてもいいが、中央にある「善悪の知識の木」を食べてはならないと命じました。(エデン契約のひとつ)しかし、蛇(サタン)が唆かし、アダムとエバは結果的に食べてしまいました。ここから人間に罪が入ります。

アダムとエバが、自分たちが裸であることに気付き(恥らい)、いちじくの葉をつづりあわせて、自分たちのおおいを作りましたが、これでは不十分で神は皮の衣を作り、彼らに着せました。また、イエス・キリストの預言が隠されています。

 

【メッセージ】

 いつものように三つのポイントで話していきます。

 ポイント1 神は人をご自身のかたちとして創造された

 ポイント2 エデン契約を破ったために罪が入り神のかたちは破壊された

 ポイント3 神の愛と回復の計画(キリストについての預言)

 

ポイントその1 神は人をご自身のかたちとして創造された

1)神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」

  われわれは父、御子、聖霊の三位一体の神を意味します。

 

2)神は人をご自身のかたちとして…

 このウェストミンスター小教理問答書の中で神について、次のように書かれています。

 

 問4.神とはどんな方ですか。

 答 神は霊(1)であられ、その存在(2)、知恵(3)、力(4)、聖(5)、義、善、真実(6)において無限(7)、

   永遠(8)、不変(9)な方です。

①神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。(ヨハ4:24)

 

②あらゆる存在の根源である神が…(出3:14現代訳)

 

③われらの主は大いなる神、力も豊かであって、その知恵ははかりがたい。(詩147:5)

④…「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者」。(黙4:8)

 

⑤主よ、あなたをおそれず、御名をほめたたえない者が、ありましょうか。あなただけが聖なるかたであり、あらゆる国民はきて、あなたを伏し拝むでしょう。あなたの正しいさばきが、あらわれるに至ったからであります。(黙15:4)

 

⑥主は彼の前を過ぎて宣べられた。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、 いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず、父の罪を子に報い、子の子に報いて、三、四代におよぼす者」。(出34:6、7)

 

⑦あなたは神の深さを見抜くことができようか。全能者の極限を見つけることができようか。 それは天よりも高い。あなたに何ができよう。それはよみよりも深い。あなたが何を知りえよう。 それを計れば、地よりも長く、海よりも広い。(ヨブ11:7~9)

 

⑧山々が生まれる前から、あなたが地と世界とを生み出す前から、まことに、とこしえからとこしえまであなたは神です。 (詩90:2)

 

⑨すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。 (ヤコブ1:17)

 

私たちは本来、義なる方、聖なる方に…神はそのような御性質に似せて造られました。

 

また、「神は愛です。」愛の章とよばれるⅠコリント人への1手紙13章には次のように記されています。

  13:4愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 5  礼儀

    に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、 6  不正を喜ばずに真理を喜

     びます。 7  すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 8  愛は決して

    絶えることがありません。

 

寛容、親切、ねたまない、自慢しない、礼儀、怒らず、忍耐、なども神の御性質としてあります。それが人間関係についても及んでいきます。

 

当然、人間は悪魔、サタンに似せて造られたのでありません。いいかえれば、サタンの性質は以上のように見てきた神の御性質とは、まったく逆です。

 

ポイントその2  エデン契約を破ったため罪が入りました

神は自由にものを選ぶ能力をもつ道徳的存在として人間を創造されました。人間は創造主なる神と愛し、従うのか、それとも神の命令、導きに逆らうのか自分で選べました。(自由意志) 神はエデン園に善悪の知識の木を置いて、信仰の従順をテストするために置いたのです。それは神の主権にかかわることでした。本来なら、人間が神に信じて従うなら神との関係も麗しいものとなり、楽しむことが永遠にできたはずでした。

 

しかし、蛇(サタン)が唆されてアダムとエバは善悪の知識の木から食べてしまいました。その結果として神のかたちは破壊されました。罪が入りました。神と人間の間の関係が断絶されました。アダムとエバの関係もねじれが生じました。それは一般の人間関係の問題(愛せない、ねたみ…)であります。

 

人間は自分の考えで神のようになろうと全能感を得ようとしました。その影響が現在の社会現象に反映しています。科学、社会システムも真理を追究しているかのように見えますが、その根底は全能感というものが見えます。

 

このことは生命倫理の問題などにも影響します。多くの科学、学問は一応、神を棚上げにして人間の持つ限られた英知と呼ばれる知性(判断)を基にしています。その始まりは比較することからです。人間が考える価値の善・悪、優・劣、多い・少ない、勝ち・負け、成功・失敗など、相対的な指標をもって判断するのです。なぜなら、人間は思考の枠組みを造ることで生の営む必要が生じるようになったからです。

 

「聖書と医学」という題で書かれた本があります。著者はスイスのパウル・トゥルニエという名の精神科医です。その中で、「医療技術は悪魔性も潜んでいる」という一文があります。まさにこれは現代の進んだ医療技術の一面を物語っています。

 

ポイントその3 神の愛と回復の計画(キリストについての預言)

神は人格的なお方です。意志、思い、感情があります。義なる方でまた、愛の方でもあります。アダムとエバがいちじくの葉でつづりあったおおいについて、神は皮の衣を与えました。動物を犠牲にして血を流してできたのが皮の衣です。これが神様の方法でした。いちじくの葉ではなく皮の衣でなければ、神の前に立てないのです。これはイスラエルの人たちが捧げてきた動物のこともあらわし、恵みの時代に生きる私たちのために死なれたイエス様の流された血潮を感じさせます。

 

 神のかたちの回復に関連して、イエス・キリストについての預言が創世記3章15節で明確に表されています。蛇に対しておまえの子孫とは反キリストを指し、女の子孫とはイエス・キリストを指しています。つまり、蛇(サタン)がイエス・キリストにかかとについてもイエス・キリストは死にません。蛇(サタン)の頭を踏みくだき、キリストは勝利するのです。それが私たちの救いに関するものです。創世記の3章で神は福音の預言されたのです。(原福音)そこには神のかたちの回復(救い)の希望があり、神の計画の中に取り込まれました。

 

今、恵みにより救いの中に入らせていただいた、私たち、キリスト者は聖化の過程にあります。依然として罪の性質も残っています。日々の生活の中で、神に祈るとき、聖霊様から自分の罪を指摘されるときがあります。それが悔い改めへと、さらに行動の向きを変えることにつながります。悔い改めは恵みであり、神のかたちの回復へとつながります。

 

ですから、イザヤ書の中で

イザヤ43:4  わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している

 と神は私たちに言ってくださるのです。それがキリスト者のアイデンテティです。

 

さて、いま、サタンは私たちの生活のあらゆる領域で巧みにあやつろうと入ってきます。でも、私たちには神のことば、聖書があります。聖書はイスラエル民族の歴史、教え、イエス・キリストの福音だけではなく、将来のことを教えている聖書預言でもあります。現在、混沌とした社会状況の中で生きる私たちにとって、聖書預言が有益であり、実際に世界はそのように動いています。前もって知らせています。神のみことばは私たち足の灯であり、道の光です。

 

【まとめ】

私たちは神のかたちに似せて造られた存在ですが、人類に罪が入り、神のかたちとしての性質は破壊されました。神は愛の方であり、イエス・キリストの福音により、神のかたちが回復され、救いの道へと導かれました。キリスト者のアイデンテティを確認しました。神のみことば(聖書)を依りどころとしましょう。

 

【追加:漢字から見る福音】

  創世記 3:21  神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。 

   +皮⇒「被」